台湾人のおばあちゃんからの。とても悲しいおはなし。
今日はまたアメリカがかなり攻撃的発言をしたそうで。
そんなニュースを見かけるたび、戦争になってしまったらどうしよう、と。
そして。
台湾のおばあちゃんから聞いた話をいつも思い出します。
タイワンには日本統治時代を生きたおじいちゃんおばあちゃんがいまだに多くいらっしゃいます。
そんな方からたくさんのお話をお聞きしてきました。
統治時代に嬉しかったこと、楽しかったこと。悲しかったこと、つらかったこと。
そんな話もまたブログで詳しくお伝えできればいいと思っていますが、以前おばあちゃんが私に話してくれたことがありました。
『台湾がね。台湾がまだ日本だったときね。
私はね、家族で松山飛行場の近くに住んでいたの。
ある日の夏の夜にね、松山飛行場の方からね、ふらふらとした足取りで日本人兵がこちらにやってきたの。
私はその時まだ4年生くらいだったんだけれど、姉がもう女学校くらいの年でね。
母が「あなたは危ないから早くうちへ入りなさい」って姉を家に入れたの。
そしたらね、その日本人兵が母のところに近づいてきたの。
よく見たら酔っぱらっていてね。そして母にこう言ったのよ。
「私は明日、朝4時に飛行機で飛び立ちます。
その前にどうしても母にさようならが言いたい。
でも僕は伝えることが出来ない。
だからおばさん、母の代わりに最後の挨拶をさせてください。」
と。
だからね、私の母は握手して抱き合っていたのよ、その日本人兵と。
酔っていたのはね、突撃する前の晩に最後にお酒を飲ませるのよ。
だからなの。
そして私は起きたわよ、次の日の朝4時にね。
そうしたらね、松山飛行場から4時に、南の方に向かって飛んでった飛行機がいたの。
わたしはね。
その日のことを、今でもずっと、忘れてないの。』
みなさんがどうとらえるのかわかりません。
ただのよくある戦時中の話と、さらりと読み流されるかもしれません。
私はこの話を思い出すたび、誰かに話すたびに、心がぎゅっと痛くなります。
そして戦争の話を実際、生で、ご本人から聞いた経験はこの方が初めてでした。
人であれば必ず家族がいます。
そして、戦争になれば、必ず誰かが悲しみ、苦しむのです。
恵まれた、この美しい時代。
どうか、不幸なことなど起きませんように。
そして。
この話を私にしてくださった台湾人のおばあちゃん。
とてもとても、感謝しています。
ほよよん&のんびり
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